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「MRJ」初飛行が4年遅れだった理由は型式証明?

      2017/09/14

11日、三菱航空機が開発してきた国産初の小型ジェット旅客機「MRJ」(三菱リージョナルジェット)が初飛行に成功しました。

これって歴史的瞬間であり偉業だと思います。

※リージョナルジェット・・・地域間輸送用旅客機のこと。


日本国産ジェット旅客機「MRJ」の初飛行テスト動画(離陸)

なんていう美しい斬新なフォルムでしょうか。

「飛行機が飛びたい」_と言っているかのように浮き上がった。着陸後の機長のコメントがかっこ良すぎた。

小型ジェットということで、全長約35メートル、座席数は70~90席程度です。主に地方と地方を結ぶ路線で利用される見通しです。

すでに世界各国の航空会社から400機以上の受注があり、国家的プロジェクトの様相を見せています。(※開発予算の1/3を国家が負担していた。)

リージョナルジェットの市場規模は不明ですが「MRJ」の場合、300~400機販売出来れば採算ラインに乗るという試算があるようです。

すでに400機受注となれば、明るい未来が待っていそうですね。

「MRJ」初飛行が4年遅れの理由が泣ける?

「MRJ」ですが、当初の計画では2011年の初飛行を予定していたそうです。なぜ4年も開発スケジュールが遅れてしまったのか?

製品自体の不具合もあったようですが、一番の原因は膨大な項目の安全審査、いわゆる「型式証明」の手続きの不備だったそうです。

型式証明とは、機体の構造・製造方法・品質管理に関する試験や書類審査の承認を得る作業です。「MRJ」の部品数はおよそ95万点、自動車で約3万点というから想像を絶します。

日本は国産初のプロペラ旅客機「YS-11」以降、航空機事業から随分と遠ざかっていました。

その後ボーイング767の開発では、日本は品質の高い部品を提供する下請けの地位に転落。

※「YS-11」ですが、結果的に360億円の赤字となり航空機事業としては失敗。日本は航空機製造から撤退します。

この間、航空機はプロペラからジェットへ、そして高度のコンピュータ化が進みます。

世界の安全基準(型式証明)もより高度に複雑化しました。
三菱航空機は製造技術そのものよりもむしろ、この書類審査の段取りに大きく手間取っていたそうです。

敗戦後、航空機の製造開発を禁じられた歴史があります。日本企業による飛行機の運航や製造禁止が全面解除となったのが1957年(昭和32年)です。

航空機ビジネスの段取りに慣れていなかった?いかにも日本らしいつまずき方のようにも思えるわけです。

MRJリージョナルジェット市場での強み?

「MRJ」の抑制の効いた流線型のボディーですが、見る角度によっては新幹線が翼を広げたかのようなコケティッシュさが魅力です。

とにかくデザインが斬新で胸を打ちます。

貨物室を座席の下ではなく機体の後部に設置したことで、広々とした客室の空間は胴型機の快適さを大幅に上回ります。

さらにその素晴らしさは外観に留まりません。

たとえば燃費。

主翼の端が反り上がった形状からも見て取れるように、同型航空機よりも20%の燃費削減に成功しています。

機体に打ち込まれているリベットやスクリューは、空気抵抗を0(ゼロ)に近づけるため、頭の部分が表面部分と一体化するよう工夫されている。

この技術はゼロ戦開発当時に生まれたそうです。航空機に限らず日本の技術は凄い、それなのに世界市場をものに出来ていない。

4年遅れの「MRJ」の初飛行が全てを物語っている気がします。

それでも一つの大きな形を造ってくれたわけです。

品質が良ければ市場は後からついてくる。技術倒れで失ったモノを取り返していけるのかな~?

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