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マッサンが山崎蒸溜所で働いた10年間の意味(ピュアモルトへのこだわり_)

      2017/09/04

山崎蒸溜所 樽の納品

史実では、竹鶴政孝は1923年に寿屋(現サントリー酒類株式会社)に入社します。マッサンにおける鴨居商店のモデルです。

そして日本初のウイスキー製造工場である山崎工場(山崎蒸溜所)を設立、工場長を務めます。

このあたりの展開は史実通り。

竹鶴が寿屋を退社したのは34年のことです_。

もともと10年勤務という約束があったことと、後継者が育成されたことが理由だったようです。後継者とは、マッサンでは大将の息子” 鴨居英一郎 “となります。

マッサン ピュアモルトへのこだわり

史実では山崎工場(山崎蒸溜所)から販売された国産ウイスキー第一号、『サントリー白札』(現在のサントリーホワイト)の売り上げは思わしくなかったとあります。

ドラマでは政春がウイスキーの肝として訴え続けるピート臭が問題でした。模造品を飲み慣れた日本人に本格的な風味をとじこめた『サントリー白札』の良さは伝わらなかったわけです。

鴨居の大将もしかりで、早い段階からウイスキーの原酒独特の風味(ピュアモルト)を和らげる事を提案していました。しかし政春は事あるごとに、スモーキーフレーバーは、ウイスキーの命と言って譲ることはありませんでした。

こだわりを通せば商売が成り立たない。そんな窮地に追い込まれて行きます。

マッサンと欣次郎の深まる溝

鴨居の大将が政春にウイスキー製造を一任した理由は、その技術への信頼と謝礼だった気がします。とりあえず納得できる品質のウイスキーを造らせる。日本人向けにカスタマイズするのは後回しでいい、そんな判断があった気がします。

まずは製造技術を定着させる必要があると。

史実においても山崎工場の運営は順風満帆ではありませんでした。

なかなか出荷(商品化)されないウイスキーに出資者たちも疑心暗鬼になってしまうのです。『サントリー白札』はそういう状況下で前倒しで発売された為、竹鶴が求める品質とはかけ離れた部分がありました。

ウイスキーは通常5年程度、樽で寝かせます。そして樽ごとに熟成されたウイスキーは異なる個性を持つそうです。

それらをブレンドして深い味わいを生み出します。

『サントリー白札』では、このブレンドという工程に100%の力を注ぐ事が出来なかったようです。その理由として、この時期出荷レベルに達した熟成した原酒があまりに少なかった事があげられます。

初年度の仕込み分では、理想的なブレンドが望めない。

本来であれば、もう2年、3年先の原酒とブレンド出来れば良かったのでしょう。初年度に仕込んだ原酒は5年後に熟成を見る。しかしこれを出荷してしまうと、その後に熟成を迎えるウイスキーの資源を失う事になります。

ここには相当難しい判断があったと予想できます。

将来的なウイスキーの品質を落としても、出資者を一時納得させるために商品化を急いだ事になります。同時に竹鶴政孝のやり方には、商業ベースに乗り切れない、いくつかの問題点が浮き彫りになったと言えます。

マッサンにおいても、政春と欣次郎の両者が心底納得出来る場面は訪れないと思います。常にどちらかが譲る形でその場を凌いで行くことになるはずです。

それでも互いにウイスキーという夢が目の前にあったからこそ、10年間という長きにわたって共に歩めたんだと思います。

現状では全てが順調に進んでいるよに見えますけどね

※ブレンドについては、ドラマの流れから想像した個人的な見解が含まれます。仕込んだ年の違うウイスキー同士はブレンドしないのが常識かもしれません。

互いに学んだ山崎での10年

政春は品質にこだわるだけでは、ウイスキーが商売として成り立たない事を欣次郎から学びました。欣次郎はその後の大きな試金石となる技術(ノウハウ)を政春から学んだという事になります。

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