ジョッパリ・ワールド

マッサンが山崎蒸溜所で働いた10年間の意味

      2016/05/11

山崎蒸溜所 樽の納品

史実では、竹鶴政孝は1923年に寿屋(現サントリー酒類株式会社)に入社します。マッサンにおける鴨居商店のことです。

そして日本初のウイスキー製造工場である山崎工場(山崎蒸溜所)を設立、工場長を務める。このあたりの展開は史実通り。

竹鶴は34年に寿屋を退社します。

もともと10年勤務という約束があったことと、後継者が育成されたことが理由だったようです。この後継者とは、マッサンでは大将の息子” 鴨居英一郎 “の事なんです。

マッサン ピュアモルトへのこだわり

史実では山崎工場(山崎蒸溜所)から販売された国産ウイスキー第一号、『サントリー白札』(現在のサントリーホワイト)の売り上げは思わしくなかった_とあります。

ドラマでは政春がウイスキーの肝として訴え続ける、ピート臭があります。しかし模造品を飲み慣れた日本人に本格的な風味をとじこめた『サントリー白札』の良さは伝わらなかったわけです。

鴨居の大将もしかりで、早い段階からウイスキーの原酒独特の風味(ピュアモルト)を和らげる事を提案していました。しかし政春は事あるごとに、スモーキーフレーバーは、ウイスキーの命と言って譲ることはなかった…でしょ;;

でもそうそう頑固にもやっていられなくなるのです。

マッサンと欣次郎の深まる溝?

鴨居の大将が政春にウイスキー製造を一任した理由は、その技術への信頼と謝礼だったのではないだろうか?とりあえず納得できる品質のウイスキーを造らせる。日本人向けにカスタマイズするのは後回しでいい、そんな判断があった気がします。

まずは製造技術を定着させる必要があると。

史実においても山崎工場の運営は順風満帆ではありませんでした。

なかなか出荷(商品化)されないウイスキーに出資者たちも疑心暗鬼になってしまうのです。『サントリー白札』はそういう状況下で前倒しで発売された為、竹鶴が求める品質とはかけ離れた部分があったわけです。

ウイスキーは通常5年程度、樽で寝かせる必要があります。そして樽ごとに熟成されたウイスキーは異なる個性を持ちます。

それらをブレンドすることで深い味わいが生まれます。

『サントリー白札』では、このブレンドという工程に100%の力を注ぐ事が出来なかったようです。その理由として、この時期出荷レベルに達した熟成した原酒があまりに少なかった。

初年度の仕込み分のみでは、理想的なブレンドが望めない状況。

本来であれば、もう2年、3年先の原酒とブレンド出来れば良かったのでしょう。初年度に仕込んだ原酒は5年後に熟成を見る。しかしこれを出荷してしまうと、その後に熟成を迎えるウイスキーの資源を失う事にもなりかねない。

ここには相当難しい判断があったと予想できます。

※ブレンドについては、個人的な見解を立てて書いている部分があります。仕込んだ年の違うウイスキー同士はブレンドしないのが常識かもしれません。たんに初年度の仕込みの絶対量が少なかった?熟成期間が短かったという理由だったかもしれません。

将来的なウイスキーの品質を落としても、出資者を一時納得させるために商品化を急いだ事になります。同時に竹鶴政孝のやり方には、商業ベースに乗り切れない、いくつかの問題点が浮き彫りになったと言えます。

マッサンにおいても、政春と欣次郎の両者が心底納得出来る場面は訪れないと思います。常にどちらかが譲る形でその場を凌いで行くことになるはずです。

それでも互いにウイスキーという夢が目の前にあったからこそ、10年間という長きにわたって共に歩めたんだと思います。

現状では全てが順調に進んでいるよに見えますけどね

互いに学んだ山崎での10年

政春は品質にこだわるだけでは、ウイスキーが商売として成り立たない事を欣次郎から学んだ。欣次郎はその後の大きな試金石となる技術(ノウハウ)を政春から学んだという事になります。